FUAC DIARY

FUAC活動記録。車&バイクのダート競技が主戦場。

【理系】ド底辺向け!研究室での1年間【卒論】

こんにちは、三浦です。

僕はこの前の春で大学を卒業したのですが、1年間研究室生活で行ったことをまとめようと思います。

というのも、ちょうど今頃B4の方たちは院試が終わったところで、そろそろ卒論に取り掛かろうとか意識の高いことを考えてる人もいるでしょう。
しかしその中で「まだやりたくない!遊びたい!」と考えている僕のようなド底辺のみなさんに少しでも参考にしてもらえたら、と。



では本題に入っていきます。
僕は工学部所属だったので1年間かけて卒業研究を行い、卒業論文を作成しそれを発表しなければなりません。
そして僕は前提として
・大学院には行かない(学部就職)
・研究に興味が無く、やる気もない
と言う状態なので、できるだけサボって卒業しようと考えました。


まず研究室の簡単な説明を
・10-17時のコアタイム
・毎週月曜にミーティング(後に火曜に変更)
・月1で教授を交えて研究会(進捗発表の場)
・人数構成はB4が僕含め2人、M1とM2が1人ずつ
・担当教員は学生の研究にたいして興味がないが、適当な口出しはやたらとしてくる
という少人数で少しハズレの研究室でした。そもそも研究室選びは大事です。人数が多いところのほうが助けを求めやすいのでいいと思います。ここからは1年間をざっくりと振り返ります。

〇4,5月
研究室に配属。コアタイムがあることやテーマに興味がないことからやる気0。この頃は就活を言い訳にして週2くらいはサボり、残りは11時以降に出席してました。時々「10時は来てね」と言われますが適当に無視。
この段階では何も研究は進められてないので就活してることと、実験器具の使い方を学びましたって程度でミーティングや研究会を乗り切りました。

〇6,7月
就活が終わったのでサボる理由がなくなってしまいました。この頃は車いじりがピークの時期だったためどうにか研究室をサボりたく、昼過ぎにカバンを置いたまま学食に行くフリをして抜け出したり、ごみ捨てに行くついでに家に帰って車いじりをしてました。
この頃、適当な思いつきで行動しがちな先生が唐突に輪行をやると言い出しました。4人で参考書を回し読みをして、毎週1人ずつ担当の箇所をまとめて発表するという形でしたが、皆のやる気がなさすぎて2人発表したところで僕の番が来る前に輪行は自然消滅。あれは何だったんだろうか。

先生は月1の研究室にはかなり重きを置いていたので、時期が近づいてくると1対1のディスカッションがよく行われました。ただ僕は1mmもやる気も知識も考えもなかったのでひたすら先生の言うことにハイハイ頷き、そこで言われた内容の実験を適当にやって適当に発表していました。そしてこの頃院生から
「ちゃんとやるのは秋以降だよ」
「前倒しで頑張っても追加で課題を投げられて、結局卒論提出ギリギリまで忙しくなる」←めっちゃ大事!
と言われたこともありまだまだサボります。

〇8,9,10,11月
8月は院試ということで定例ミーティングと研究会はナシですが、お盆以外は夏休みではありません。しかし完全にスイッチが切れてしまったので一ヶ月で3日くらいしか出席しませんでした。

9月頭に研究会がありましたが、前月に何もしてないから発表できることなどない上に、その研究会の翌日から九州へ旅行に行くためそれが楽しみすぎてやる気が0。そこで身内に不幸があったことにして研究会と旅行の日は全部研究室をサボりました。九州楽しかったなあ。

そして秋に。夏から何も進んでいませんが、まだまだ焦りません。この頃までの3ヶ月くらいは、ある構造のレプリカを粘土と樹脂を使って鋳造し、その寸法をノギスで測って再現性を確かめるということをしてました。先生からは「小学生レベル」と罵られましたがまだサボります。

夏が終わってから研究室がだるすぎて月曜昼過ぎに起きてミーティングをブッチする、というのを繰り返していたところミーティングの日程が火曜日に変更になりました。それも行きたくなかったですが、先生から「これなら参加できるよね(^^)」と言われ渋々出ることに。

11月の研究会では、それまでやっていた小学生レベルの工作をやめてなぜか片持梁のたわみや断面二次モーメントなどを求める、という学部2年の材力で習うようなヘボい計算だけをしてました。このあたりから「そんな進捗で大丈夫か?」とエルシャダイのような言葉をかけられるようになりますがまだサボります。この頃は午前中に出席することはほぼ稀でした。

〇12月
周りはかなり卒論・修論ムードとなり、論文に載せられるようなデータをガンガン取ってましたが僕は何をすればいいかわからず、何も率先して行わないので進捗がありません。12月後半になり呆れた先生から、こんな流れでええんちゃう?というざっくりとした指針が貰えたときは「勝った!」と思いました。そして今までにやったことは完全無視して3DCADでモデルを作って有限要素解析を行うということに。この月の研究会は「3DCADの使い方を学びました」という発表をし、年末年始はしっかり休みました。

〇1月
卒論提出まであと1ヶ月で、周りは論文をどんどん書いています。僕はほぼ1ヶ月CADの使い方を学んだだけなので、提出2週間前の時点で今後用いる供試材料くらいしか書けることがありませんでした。そしてこの頃は先生から何度も進捗を尋ねられるのがだるすぎたので、あえて先生が帰った夜中11時くらいに大学に行き、朝先生が来る前に帰るという生活をしていました。

〇2月
卒論提出1週間前、なんとか解析の結果をまとめて1~3章が書けたため先生に提出したところ訂正の嵐!今までに助言をもらう機会を自ら潰してきたのだから当然ですが僕は絶望しました。
しかしここから1週間で解析をやり直し、それを踏まえて実験をし、論文にするしかない!と奮起し、ガンガン解析を回して結果をまとめることにします。

しかし僕のような鳥頭には土壇場でなんとかできず、さらにはそれまでやってた内容をほぼ全否定されるくらいの指摘を受け、結局マシに書けただけなのは1章だけって状態で提出3日前となってしまいました。

「これじゃどうやっても無理だな...先生は出張でおらんしもう訂正指示は無視して解析はOKということにして、残りの実験しちゃお」
と考え、強引に2日間で実験を行いそれをまとめ、
1.序論
2.実験道具
3.解析その1
4.解析その2
5.実験
6.考察
みたいな構成の50ページ程度の論文を書き上げました。
他の人たちは遅くても提出5日前くらいには初稿を書き上げて先生に添削してもらっていましたが、なんと僕は提出前日に先生に送りました。
あまりにも時間が無いため中身がひどいながらもほとんど添削されず、適当に修正してなんとか提出にこぎ着くことができました。

〇提出後
それから一週間半で卒論審査会(発表)があります。これもだるいっちゃだるいですが口頭諮問の数分間サンドバッグになればいいだけ、と考えたら気楽なもんです。そして大炎上するかと思いきや答えやすい質問が飛んできた上に、下には下の本当にひどい発表が他にいくつかあったので持ちこたえました。
審査会と言うからには先生たちが学生の発表を採点するわけですが、僕のいた専攻では
・はきはき喋れてるか
・ちゃんと質疑に答えれているか
・内容が優れているか
の3項目をそれぞれ10点満点で採点し、合計の平均が6/30点あれば合格のようです。非常にヌルいです。

そしてとりあえず卒論を出して発表したものの中身がひどいため、先生からは
「提出前に指摘した内容を盛り込んで、修正稿を作って見せてね」
と言われました。発表した時点で春休み気分だったためそういった内容はやらずに無視、簡単な体裁のみ5分程度で直して先生は通さず教務に提出しました。ここまで来ればもう卒業は貰ったようなものです。
その後先生から
「電子ファイルの締切はまだ3週間くらいあるからそれまでにこれこれ修正してね(^^)」
とメールが飛んできましたがそれも無視、その後発表された卒業者名簿に自分の名前があることを確認し完全勝利。

コロナの影響で卒業式は中止となりましたが、専攻での学位記授与式がありました。
しかしここで「さくっと学位記もらって大学とはオサラバだ~」と気楽に参加した僕に悲劇が襲いかかります。
なんと「同窓会に入ってもらうからお前ら1万円払え」と言うのです。年がら年中ド貧乏な僕にはあまりにも重い金額ですが、
その場で逃げ出せる雰囲気でもなかったため涙を呑んで1万円を払いました。
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しかしここで負けているだけの僕ではありません。会費を払って席に戻るやいなや、もらったばかりの学位記入れの写真を撮影しその場でヤフオクに出品!
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↑説明文

結果的に15000円くらいで売れたのでなんとか会費は回収でき自己破産を回避できました。みんなも学位記入れ売ろう!
そしてその後大阪にオサラバし就職のため長野に引っ越し、今に至ります。


めちゃ無駄に長くなってしまいましたが、以上が僕が研究室で過ごした1年間です。
僕が特に言いたいこと、学んだことは

・なんとかなる!
内定を持った学生を卒業させないとなると企業と大学との関係悪化に繋がりますし、B4の卒論なんてヘボくて当然なので誰も期待してません。なんやかんや卒業できます。
先生がやたらと口出ししてくるのは、「仕事だから」と「あまりにひどい内容の論文を書かれると翌年以降の学生がサボってしまうため」です。そんなこと気にしてても仕方ないのでギリギリまでサボりましょう。書いたものが卒論の体裁になっていて、発表をなんとか乗り切れば勝ちです。

・頑張っても無駄!
卒業論文なんて頑張ったところで上位1,2人に優秀発表賞みたいなのがもらえるだけ。やる気がないなら頑張らなくていいですし、金がもらえるわけでもないのでバイトのほうがマシ。残り少ない学生生活を楽しむことに力を注ぐ方がよほど有意義。
そして、これは研究室次第かもしれませんがいくら早い時期から頑張ったところで12月以降の忙しさは大して変わりません。頑張ってもそうでなくても卒業という結果は変わらないので手を抜きましょう。

・下には下がいる!
僕は旧帝大と言われる大学におり周りには頭のレベルが高い人が多いですが、僕含めひどいやつはひどいです。他の人の卒論発表を見ましたが、こんだけサボった僕よりも中身のレベルが低かったり、練習してなくてグダグダだったり、挙げ句発表時間を2分ほどオーバーして怒られてる人までいましたがそいつらでも卒業できてます。下には下がいるからみんなも大丈夫!

以上の3点が僕が特に言いたいこと、感じたことです。この記事のおかげで一人でも多くの底辺大学生が気楽になってくれたらと思います。